道明寺・誉田の戦い(大阪府)

×仲哀天皇陵 
大阪の陣2回戦、真田幸村はココを陣城に改造。

 
玉手山公園(Pあり) 
徳川軍を挑発して古墳の間の狭い道におびき寄せるため、後藤又兵衛が出陣。

徳川方伊達軍が国分に布陣してたんで、小松山(勝松山公園)に布陣し攻撃を開始。
最初は善戦したけど、大軍に囲まれ討たれちゃった。

南側にある駐車場から梅林て看板の方へ登ってくと歴史の丘に。
 
碑と後藤又兵衛しだれ桜が佇んでいる。
横に家臣・吉村武右衛門の碑。
彼は後に僧侶となって、大坂の陣で亡くなった人達の冥福を祈った。
  
階段を登って、玉手山古墳の上に東西両軍戦死者供養塔がある。

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☆誉田林古戦場(誉田八幡宮、Pあり) 
玉手山公園から下道15分。
後藤隊を追撃した徳川軍は、幸村のワナに入り込む。
誉田で迎え撃たれた伊達政宗はボコボコに。
細川顕氏 vs 楠木正行藤井寺合戦)や、畠山政長 vs 義就などもあったらしい。
 
墳丘の面積は日本一という15応神天皇稜は濠が二重になってたそう。
雑木林が内濠と外濠の間の堤で、更に外濠と外堤がめぐらされていた。
200年足らずで外濠は埋められ、559年(欽明天皇20)に八幡宮が創建された。
 
志紀長吉神社(Pあり) 
大阪城へ退却途中、誉田から下道20分の志紀長吉神社で、幸村は戦勝祈願がてら休憩。

道の向こうのラーメン屋さんの隣りに碑がある。
 
 
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