大津城(滋賀県)

大津城(P有料)
坂本城から下道15分。
浜大津駅からR161を跨ぐ陸橋を下りた所に碑がある。
三重に堀をめぐらせた水城で、埋め立て前は国道のすぐ近くまで湖岸で石垣が波に洗われてたらしい。
天守彦根城で、城門などは膳所城で再利用され、何も残ってないよう。
路駐して1分で戻る。
 
佐々木定綱の4男・信綱が、承久の乱での戦功で近江守護となり。
遺領を4人で分けっこ…長男・重綱(大原氏)、次男・高信(高島氏)、3男・泰綱(六角氏&宗家)、4男・氏信(京極氏)
佐々木道誉は京極家の当主。
京極高次は祖父・高清の代に家督争いに乗じて浅井氏に下克上され、小谷城の京極丸で生まれた。
槇島城に篭もる足利義昭を攻めた織田信長に従って、近江国奥島5000石を与えられ。
本能寺の変で信長が討たれると、妹・竜子が嫁いでた武田元明明智光秀に与し長浜城を攻める。
が、山崎の戦いで光秀は負け、義弟は自害。
高次のピンチは竜子が秀吉の側室になったことでクリア、近江国高島郡2500石を与えられる。
九州攻めの功で1万石に&大溝城も与えられて大名となる。
浅井家の次女・初と結婚。
小田原征伐の功により八幡山城2万8千石に。
大津城6万石へと更にジャンプアップ。
関ケ原の合戦では、究極の選択の結果、東軍について3千の兵で籠城し、毛利軍1万5千を8日間釘付けに。
徳川家康から若狭一国8万5千石へ加増転封され、後瀬山城に入る。
近江国高島郡のうち7千石も追加。
小浜城を築城。
忠高が跡を継ぐ。
出雲&隠岐26万石へ加増転封+石見銀山も。
徳川2秀忠の娘を嫁にもらってたけど仲はイマイチで、跡継ぎなしで亡くなった。
改易されかけたけど、高次に免じて甥・高和が播磨龍野6万石に移動で大名として存続。
讃岐丸亀5万石&播磨揖保郡網干1万石に。
 
京極高次の弟・高知は、家康から宮津12万3千石を与えられ田辺城に入城。
高広に宮津藩を→3代で改易。
高三に田辺藩を→3代で但馬豊岡へ転封。
養子の高通に峰山藩を分割。