武蔵・伊織の里(兵庫・高砂市&加古川市)

★西光寺(Pあり) 
300円必要って立て札があるけど、人影なし。
車をとめさせてもらって、宮本武蔵・伊織の像と、五輪書にちなんで作った五輪之庭を拝見。
  
 
★武蔵・伊織の里 MAP
金ぴか五輪司供養廟の右側に、大原や太子も生誕の地と言ってるけど、米田こそホンモノって宮本家13代当主のお墨付きが。
お兄ちゃんの子供で、養子にした伊織が泊神社に奉納した文書で生誕地が確定とか。
  
左側には、元首相の父・細川家25代当主の筆による顕彰会のお墨付き、宮本武蔵・伊織の生誕地碑。
武蔵が最後に仕えたのが細川家だったとか。(保険屋の社長に教わる)
 
武蔵の実家・田原家屋敷跡は見つけられなかった。
田原家って赤松系らしい。
円心の次男・貞範の孫が将軍の側室に手を出したことがバレて切腹、子は追放になり姓を変えて地侍に。
5代目・家貞は御着の小寺家に属し、黒田官兵衛の配下で三木合戦にも参加。
その息子が武蔵兄弟。
.
石弾城(泊神社、路駐) 
1339年(暦応2)、雁南荘地頭職を得た大井三樹伊予守宰が築城。
子が赤松氏に従う。
1459年(長禄3)、山名宗全に攻め落とされた。
石垣と思われるのが残ってるって、どれのこと?
 
社殿は宮本武蔵の養子・伊織が改築再建したものだとか。
絵馬や棟札も奉納。
棟札には一族の歴史が綴られてて、田原家に生まれた武蔵が後に宮本姓を名乗ったことが書かれてるとか。
田原氏は代々高砂市米田町に住んでたらしい。
灯篭は本殿裏に。