備中松山城(岡山・高梁市)

★御根小屋(高梁高校←P簡易裁判所) MAP
備中松山城天守が現存する山城としては日本で一番高いとこにある。
便利が悪いから、普段は麓の御根小屋で暮らしていた。
高梁高校横に車をとめ、踏切を渡って左に道を行くとある。

石段の間に線路があった。
 
 
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備中松山城(Pあり) 
跡継ぎがいなくなりお家断絶になると、城も領地も幕府に没収される。
城受け取り担当の赤穂藩大石内蔵助は、ショートカットなしで毎日のように登城したとか。
途中に休憩に使った石があるらしい。
私にはムリだから、5合目にある城見橋公園駐車場までマイカーで。
道中にも石垣があった。

8合目のふいご峠までシャトルバス(土日祝のみ300円)でGO。
ココからは、えっちらおっちら30分ほど山登り。
中間地点にある中太鼓の丸に、解説コーナーがあったから休憩。
上太鼓の丸には瓦の残骸が。
なんかあった時、太鼓でモールス信号でも出してたようで、ここも中継地点だとか。
  
  
大手門。
 
三の平櫓東土塀(現存)。
承久の乱(1221)後に有漢郷地頭となった秋葉重信が、1240年(延応2)に砦を築いたことに始まり。
1509年(永正6)には、足利義植将軍の近臣・上野信孝が備中の国侍を将軍の身方に引き入れるため、二階堂政行や伊勢貞信らと備中入り。
1533年(天文2)、猿掛城・庄為資が攻め取り。
1560年(永禄3)、成羽城・三村家親が攻め取る。
城主がかわる中で曲輪が追加され山一円が城塞と化した松山城
天守・二重櫓・三の平櫓東土塀は、1681〜83年にかけて水谷勝宗が大改修した際の遺構。
 
番所、厩曲輪などなど、右に左にいろんな跡を見ながら、二の丸へ。
甲冑を無料で着せてもらえる(お祭り期間だけ?)けど、凹むくらい似合わないので遠慮する。
  
本丸をぐるりと回ってみると、搦手門があり。
 
水の手門脇曲輪には、井戸が。

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本丸への料金所(300円)でスタンプGET。
 
昔は八の櫓もあって、天守(現存)と渡廊下で繋がっていた。
 
  
二階建ての1Fには、囲炉裏と中二階の装束の間が。
  
2Fには御社壇がある。
 
復元された東御門横の石段を登って奥に、天然の巨石を櫓台とした二重櫓(現存)。
搦手曲輪あたりから、2つの門と直接二重櫓に続く石段が3つも。
  
反信長で利害一致した毛利と宇喜多が手を組んだため、宇喜多直家に父を暗殺された三村元親は織田方にチェンジ。
毛利軍に滅亡させられ(備中兵乱)、上月城攻めの時は毛利の総大将が陣を構えた。
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