片島城(岡山・倉敷市)

★片島城(妙任寺、Pあり) MAP
細川政元が暗殺され、細川家は家督をめぐって内乱に。
クーデターを起こされ周防大内氏のもとへ逃げてた足利義材は、1508年(永正5)、細川高国派に担ぎ上げられ将軍に復活。
備中が出雲の塩冶、尼子、四国の細川・三好、播磨の赤松らに侵食されてたんで、上野民部大輔を下道郡下原郷の鬼邑山に、伊勢貞信を小田郡江原村の高越山に、二階堂政行を浅口郡片島に派遣し、国侍を味方に引き入れるよう命じた。

昔は島だったらしい。
丘の上に妙任寺と片島神社がある。
 
 
将軍が山陽道を巡見した際、「二階堂氏は幸山城・石川久次、松山城・高橋備中守と結んで国中を平定し、家柄もいいし、備中探題にしてもいい器だ」と、経山城へ移るよう命じた。
常に将軍を敬い、大内家の幕下に加わり、呼び出しがあるたびに諸国へ出陣し軍忠を尽くした二階堂を中心に、備中国衆は大内系列に。
 
伊予川之江城にいた細川道董は叔父・通政の後を継ぎ、毛利氏と結んで1559年(永禄2)に備中へ移る。
笠岡青佐山城→1556年(永禄9)龍王山城→1575年(天正3)鴨山城→片島城へ。